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日刊アルバイトニュース & FromA(フロム・エー)
0

    0805

     

    先日、アルバイト求人情報サービス「an」が
    今年11月に終了とのニュースが飛び込んできました。

     

    「an」といえば、やはりノスタ世代にとっては
    「日刊アルバイトニュース」の方が

    なじみ深いかもしれませんね。
    学生援護会という社名の響きも懐かしい!

     

    「FromA(フロム・エー)」と並び、
    我々アルバイトに精を出していた連中にとっては、
    大変お世話になった情報誌かもしれません。

     

    正直なところ、
    斬新な表紙のデザインや読み物等も面白い
    「FromA(フロム・エー)」の方を
    個人的には読んでいたかもしれません。

     

    実際、雑誌だけ購入して見るだけで
    アルバイトをしなかった人たちも多かった気が...。

     

    ワタクシ店主自身はというと、
    この雑誌たちのおかげで、

    高校時代にファストフード店と
    レンタルレコード店の二つを

    学校終わりに長期バイト経験しました。


    その他、夏休みとかの長期休暇には

    短期バイトで肉体労働系もやったなぁ。

     

    アルバイトで知り合う人たちというのは、
    学校の友たちとは違った独特なものがあります。
    当時出会った大学生とかでもすごく大人に見えたり、
    いろいろ遊びに連れていってもらったり...。

     

    あの頃知り合った人たちは

    みんなどーしてるのかなぁ?
    な〜んてぼんやりと考えてると

    ノスタルジー症候群の店主は

    すぐ泣きそうになります(笑)
    ダ、ダメだ、涙腺が弱すぎる...。

     

    ということで、
    また昭和が遠ざかる

    なんとも寂しいお話でございました。

     

    バー ノスタ

    | 懐かし系 | 10:42 | - | - | pookmark |
    明光商会MSシュレッダー
    0

      0716

       

      あ〜、また昭和が......。

       

      昭和CM好きの店主としては、
      「文化人枠」のCMというのは大好物なのですが、
      やはり竹村健一という人物はこの「文化人枠CM」の
      筆頭になるわけでして、非常にこの訃報は驚きなのです。

       

      まず、我々世代が最初に竹村健一を認識した時というのは、
      明光商会の「MSシュレッダー(1980年)」のCMかな、と。
      「仕事ができない奴=資料を持ち過ぎの奴」と定義し、
      自身は1冊の手帳に情報を集約しているという持論を展開したCM。

       

      もちろんこの時は子どもだったので
      ジャーナリストとか評論家という難しいことは全くわからなくて
      横柄でいろいろしち面倒くさいこと言ってる謎のおじさんとしか
      認識していなかったハズ。

       

      バラエティー等で、タモリを始めとする芸人たちが、
      その独特な風貌と言い回しを真似たことで、
      子どもたちにも浸透していったのです。

       

      学校で教科書とか忘れたりしても、ノートだけ見せて、
      「私なんかコレだけでやってますよ、コレだけで」というセリフで
      逃れようとしたことも(もちろんそんな言い訳はムダですが…笑)。

       

      何がびっくりかって、
      このCMの時の氏の年齢がジャスト50歳だったこと。
      今のワタクシ店主と全く同じかよ!!!!!

       

      その後、キッコーマン「デリシャスソース(1981年)」など、
      数々のCMに出演することになります。
      「デリ〜シャスですよ、奥さん」もプチヒットしましたね。

       

      つぎつぎと昭和が逝ってしまう寂しさは、
      この梅雨空のもの悲しさと重なる気持ちです。

       

      合掌…。

       

      バー ノスタ

      | 懐かし系 | 12:01 | - | - | pookmark |
      ゴールデン洋画劇場等の映画解説
      0

        0703

         

        先日、また昭和が遠くいってしまいました。
        俳優・タレント・司会者とマルチに活躍されていた
        高島忠夫さんが亡くなりました。
        昭和のテレビにはいない日はなかったと
        思えるほど出倒していた方ですね。

         

        その数ある出演作の中でも、
        個人的に印象のある番組といえば、
        「ゴールデン洋画劇場」の映画解説ではないかな、と。
        氏自身の視点で紹介される解説は、
        これから観る者の期待をかき立てるものでした。

         

        話はここから映画解説の方へ行きますが、
        1970〜80年代の21時台で放映される映画番組には
        必ず映画解説が入っておりました。
        各局それぞれに突出した特徴があって、
        これらの解説如何で映画の良し悪しがわかってしまいます。

         

        そしてなんといっても
        映画解説者というのは本当にみんな個性がありました。
        極端な話、映画を観ずとも解説だけで

        お腹いっぱいの時もあります(笑)

         

        せっかくなので

        個人的に思い入れのある70〜80年代の5大番組で
        わかりやすく整理してみましょう。
        長期で放映されているので、
        曜日、時間帯、解説者等の変遷もあります。
        地域差もありますがとりあえず東京圏で見てみると…。

         

        日曜洋画劇場/テレビ朝日系/淀川長治
        月曜ロードショー/TBS系/荻昌弘
        水曜ロードショー(のちに金曜へ移行)/日本テレビ系/水野晴郎
        木曜洋画劇場/テレビ東京系/河野基比古
        ゴールデン洋画劇場/フジテレビ系/高島忠夫

         

        と、なります。

         

        う〜む!解説者たちの個性がハンパない!
        こうやって振り返ると、
        高島忠夫氏が亡くなってしまったことで、
        解説者全員が鬼籍に入ってしまったということに…。
        時の流れは非常に残酷です。

         

        そんな感じで氏の訃報から映画解説の話に
        思いっきりそれてしまいましたが、
        とにかくまた昭和が遠くなってしまいました。

        我々はさらにノスタルジックな気持ちへと行くのであります。

         

        合掌…。

         

        バー ノスタ

        | 懐かし系 | 10:43 | - | - | pookmark |
        カセットレーベルのお話
        0

          0618

           

          先日、当店で昔の雑誌の話で盛り上がったのですが、

          実はワタクシ店主、

          雑誌のデザインの仕事をしていたのもありまして、

          1970〜80年代の雑誌に愛着がありすぎて、

          全然捨てられずに大量に持っているのです。

           

          しかし、それは一切整理できていない状況であり、

          何十年も経過していることもあり、

          どこに何があるのやら全くわからない状態であり、

          いつか整理をしないとならないといつも考えておりました。

           

          そんな感じでこないだ雑誌の話で盛り上がったこともあり、

          ここで一発思い切った整理大作戦をしようと心に誓いました。

           

          で、そんな整理中に出てきたのがコレ。

          「FM STATION」のカセットレーベルです。

          写真バージョンもありましたが、

          この鈴木英人の西海岸風(だろうな〜)イラストが超お気に入り!

          いつか使おうと大事にしていたのですが使わずじまいでした。

           

          とにかくウチの昭和ネタで一番多いのがカセットテープネタ。

          もう何百回も話したことでしょう(笑)

          FM雑誌の番組表にマーカーを引いて(曲名が全部出ていた!)、

          エアチェック(ラジオ番組を録音すること)に余念がない毎日。

          もちろんラジカセは録音ボタンと再生ボタンを同時に押します(笑)

           

          そして雑誌に入っていたこのレーベルをきれいに切り取って、

          別売りレタリングシートでタイトルをしっかり作成する。

          オリジナルカセットテープ作りは己のセンスの塊なのです!

           

          ま、そんな形で大量の雑誌を片付け始めたのですが、

          一冊一冊に目を通し始めると全く終わりません(^^;

          コレ一体どんだけの時間がかかることやら....。

          とにかく地道にやってみたいと思います。

          バー ノスタ

          | 懐かし系 | 16:39 | - | - | pookmark |
          対決!スーパーカークイズ
          0

            0529

             

            先日、元F1チャンピオンのニキ・ラウダが亡くなりました。

             

            彼が大活躍をしていた頃(1970年代)は、
            F1中継は日本ではほとんどテレビではやっていなかったのですが、
            1977年のスーパーカーブームによって、
            厳密に言うとスーパーカーのくくりではないものの
            「クルマつながり」ということでF1の情報も入ってきました。

             

            その数少ない情報源のひとつが
            1977〜78年まで放映されていた
            「対決!スーパーカークイズ」だったのです。
            東京12チャンネル(現テレビ東京)で
            毎週月曜の19時半からの30分番組でした。

             

            ニキ・ラウダがF1で1977年のチャンピオンになった。
            というニュースをこの番組で知ったと記憶しています。
            F1というものが当時何のこっちゃわからない子どもでしたが、
            とにかく速くてスゴいレーサーなんだと。

             

            それにしても、
            1977年のスーパーカーブームってのは凄まじいものがありました。
            小学2年だったワタクシ店主もブームにヤラれたひとりでした。
            ブーム発端は池沢さとしの「サーキットの狼」。

             

            当時の少年なら誰でも持っていた

            スーパーカー消しゴムも爆発的に流行りました。
            10年玉を握りしめてガチャガチャしに行ったなぁ…。
            エンジン音を収録しただけのレコードも持ってたなぁ(笑)

             

            クラスの友だちのお父さんが先導して、
            後楽園球場の「スーパーカーフェスティバル」に連れてってもらい、
            何十台もあるスーパーカーを間近に観れたことが鮮明に残っています。

             

            で、そんなブームに乗って「対決!スーパーカークイズ」も始まりました。
            山田隆夫司会の完全に子どもをターゲットにした構成は、
            我々小学生男子にはたまらない番組だったのです。
            この番組に出たくてハガキを何枚も出した記憶も…(^^;

             

            エンディング曲のスーパーカーの名前を連呼する

            「あこがれのスーパーカー」も印象的です。
            山田くんの唄う「スーパーカーなーんちゃって」も

            子どもたちの間で流行りました。

            「ご〜えん、じゅ〜えん、シトロエン〜♪」

             

            なんと、この番組は、
            他の70年代のテレビ番組と同様、本番組の映像テープは
            放送局に一本も残されていないらしいのです。無念…。

             

            1990年代半ばくらいからF1人気も下降し、

            若い人を中心にクルマ自体の人気もなくなっていき、

            昭和人間としてはちょっと寂しいですね。

            個性ある面白いクルマが出てくれば盛り上がるのかもしれませんね。

             

            バー ノスタ

            | 懐かし系 | 15:28 | - | - | pookmark |
            昭和から平成に変わった時。
            0

              0426

               

              今日で平成も終わりですね。

              そして明日から元号が「令和」に変わります。

               

              令和に変わることで昭和というのが

              さらにさらに遠くなってしまうんだなぁ、と(しみじみ)。

               

              昭和というワードが小学生の時に感じた明治の感覚とか

              そういうことなんですね(当時は明治生まれの人がゴロゴロいました)。

               

              ま、歳をとったのかもしれませんが、

              令和に変わろうが何をしようが

              それでもなお昭和への執着ってすごいワケなのです。


              さてさて本題です。

              昭和から平成に変わった時、皆さんは何をしていましたか?

              30歳より若い人はもちろん生まれていませんね。私は19歳でした。

               

              その頃は札幌に住んでいて前日は東京から札幌の飛行機の中。

              そして次の日は何もすることもなく札幌の街をブラブラしていて、

              家電量販店のテレビで小渕さんの有名な「平成!!!!」を

              通りがかりの人たちと観たのを記憶しています。

               

              初めて観た「平成」という言葉は

              「なんじゃ平成って?」という感じでした。

              一緒に観ていた人たちも「平成って変だよね…。」みたいな感じ。

              元号が変わるということがにわかに信じられない気持ちで、

              こりゃ馴染めんなぁ、とみんなが思ってたんじゃないかな、と。


              昭和から平成に変わるその何ヶ月も前から

              テレビでは連日のように天皇陛下の

              容体に関するニュースが放送され世の中は「自粛ムード」。

               

              そして、お笑いをはじめとするバラエティ番組はほぼ休業状態。

              世の中が沈んでいた感じ。

              井上陽水が窓を開けながら「皆さん、お元気ですか?」と言う

              超有名なクルマのCM「日産セフィーロ」も

              「自粛ムード」に従って声を消されてしまい口パク状態に。


              ま、そうやって始まった平成がすでに30年も経っています。

              極めて個人的な話をさせていただくと

              昭和を過ごしてきた時間ってたった19年なんです。

              昭和で生きてきた期間よりも

              平成で生きた期間の方が全然長いことに気づくのです。

              ちょうど私の年代でいうと昭和=未成年時代、

              平成=成年(社会人)時代であって、

              昭和から平成になった時って生き方が大きく変わった節目の時でもあったのです。

               

              なるほど、私自身、昭和への愛着が強いってのは、

              未成年時代に過ごしてきた内容の方が濃かったというか

              そういうことなのだろうか…。

              ま、そうやって自身の昭和好きをムリヤリ肯定してなくもないですが…(^^;

               

              というわけで、

              本日4/30は、平成から令和にまたがる時間を利用しまして

              カウントダウンイベントを開催します。

              おかげさまで半貸切満席御礼状態(長ッ!)ということで

              一度締め切らせていただいております。

               

              平成の終わりを噛みしめると共に、

              昭和のノスタルジーをあらためて感じたいと思います!

              バー ノスタ

              | 懐かし系 | 13:00 | - | - | pookmark |
              ルパン三世・TV第1シリーズ(再)
              0

                0418

                 

                平成から令和に変わるこのタイミングに

                我々を熱狂させた昭和に活躍した人たちが

                次々と旅立ってしまうのはもう止められないのでしょうか。

                 

                今回もそんな感じで

                「ルパン三世・第1シリーズ(1971-72年)」を書きたいと思います。

                以前、2014年に当ブログで書いたものを少し加筆して紹介します。

                ルパン三世といったら圧倒的に赤ジャケットの第2シリーズを

                思い浮かべる方が多いかと思いますが、
                自分の中では緑のジャケットの第1シリーズが一番好きです。
                コレなんですよ、絶対コレ!

                第2シリーズはコメディ要素が多く取り入れられていたのですが、

                第1シリーズはハードボイルド色が強く、

                ここの舞台は一体どこ?と思わせるくらいの無国籍感。

                当時、アニメといえば子ども向けがほとんどだった時代に

                大人のニオイがプンプンするアニメでした。

                 

                ワタクシ店主が初めて見たのは夕方の再放送からで、
                子どもに全く媚びないオシャレなアニメとして、
                強烈に記憶に残ることになりました。

                 

                何が良いって、

                二階堂有希子(声優)の峰不二子が本当にセクシーでたまりません。

                顔やスタイルも元ネタであるマリアンヌ・フェイスフルに

                一番近いのではないかと個人的には思っています。

                 

                第2シリーズ以降の不二子の声(増山江威子)の方が

                むしろ峰不二子の定番と言われていますが、

                この人は「天才バカボン」のママの声もされていて、

                どーしてもファミリー感が強くてほんわかしてしまうのです(^^;

                音楽はヤマタケこと山下毅雄。
                「霊感ヤマカン第六感」や「時間ですよ」のテーマ曲でもお馴染みですね。
                劇中で流れるアフロビートやサンバを基調にした曲たちも物語を彩ります!
                エンディングを歌っていたのはチャーリー・コーセイです。
                名前が印象的でこの名前だけ覚えている方も多いことでしょう。

                チャーリー・コーセイ!チャーリー・コーセイ!と

                言いたいだけの時もありました(笑)

                第2シリーズももちろん観てはいましたが、

                世間の反響とは真逆に自分の気持ちからはどんどん遠くなっていきます。

                第1シリーズが好き過ぎちゃったんですかねぇ。
                現代でも放映されてはおりますがあまり観なくなってしまいました。

                 

                そのようなわけで、

                今回もまた訃報の流れからこのブログを書くに至りました。

                 

                合掌....。

                 

                バー ノスタ

                | 懐かし系 | 15:06 | - | - | pookmark |
                傷だらけの天使(再)
                0

                  0328

                   

                  嗚呼!ショーケン!

                   

                  今日はこれを書かずにいられません。

                  「傷だらけの天使(1974-75年)」です。

                  以前、2013年に当ブログで書いたものを少し加筆して紹介します。

                   

                  やっぱり一番有名なのはオープニングですね。

                  コンビーフや牛乳瓶を買ってきてマネしたこともあります。

                  井上堯之バンドのテーマ曲は今でもよく聴かれますね。

                   

                  これはショーケンが出演していた「太陽にほえろ」の

                  卒業的な役割で制作されたドラマで、

                  豪華な監督陣がいわば実験的に作っており、

                  映画のような作品作りで前衛的な雰囲気を醸し出しています。

                   

                  オープニングもそうですが、アイデアマンであるショーケンの

                  天才的なアイデアが随所にこめられています。

                  ハッピーエンドに終わらない、何か後味の悪い感をいつも出していて、

                  それがまた悲哀や哀愁となっており大きな魅力となっています。

                   

                  ちなみに舞台であるペントハウス(エンジェルビル)が

                  2019年現在も代々木駅前に残っているのです(これもブログに書いてます)!

                   

                  いろいろごちゃごちゃとウンチクをたれていますが、

                  実はリアルタイムでこのドラマは観ていません(まだ子どもだったので)。

                  その後の再放送等でドラマの存在は知っていたのですが、

                  なかなか全話を観る事が出来ずにおりました。

                   

                  本放送から11年後(1986年)、日テレ「ナイトスクリーン」という深夜枠の

                  再放送でやっとこのドラマを全話観ることができたのです。

                   

                  1986年当時、ショーケンはちょい前に逮捕やらいろいろあったことで

                  すでにピークを過ぎた感がありました。

                  そんな時期に高校生だったワタクシ店主はこのドラマを観て

                  すっかりショーケンにやられてしまったのです。

                  当時、ショーケンに熱を上げる高校生なんて少なかったハズ。

                  周囲で共感する人は唯一同級生(N)だけであり、

                  2人で「オサムとアキラの関係ってイイよな〜」なんて、

                  盛り上がっていた記憶があるくらいです(笑)。

                   

                  劇中で着ている格好や言動すべてがカッコよくて

                  自身の「男のバイブル」と言ってもいいほど影響を受けました。

                  ビギのスーツがとにかく着たくて着たくて、

                  それに似たスーツ(本物は高いので)を原宿の古着屋で

                  見つけて買ったこともありました。

                   

                  これほど何度も観たドラマはありません。

                  その後もショーケンの出演作はいろいろ観てきましたが、

                  やっぱりこの「傷だらけの天使」に戻ってきてしまいます。

                  年に一回は全編観たくなるドラマですね。

                   

                  ショーケンについてはまだまだ書ききれませんが、

                  とにかくショックが大きいのでこの辺で。

                   

                  合掌....。

                   

                  バー ノスタ

                  | 懐かし系 | 15:18 | - | - | pookmark |
                  フリトレー チートス
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                    先日のザ・デストロイヤーの訃報にはビックリしました。

                    昭和に大活躍したザ・昭和なレスラーでした。

                     

                    ということで、今回は、

                    ザ・デストロイヤーの出演していたCM

                    「ジャパンフリトレー チートス(1978年頃)」をご紹介です。

                    売れる前の坂上味和と共演しています。

                     

                    絶対にマスクを脱がないザ・デストロイヤーが、

                    味和ちゃんの「マスクを脱いだらチートスをあげる」というお願いに

                    簡単にノッてしまう(実際に顔は出ませんが)という流れ(笑)。

                    このCMの頃はすでにバラエティータレントとしての認識も強く、

                    怖いというよりか滑稽なイメージで、

                    このCMでもカワイイ使われ方をしています。

                     

                    そもそもザ・デストロイヤーはヒールのレスラーだったのですが、

                    店主は初期のザ・デストロイヤーをリアルに知りません。

                    レスラーとしての活躍はそのずっと前の1960年代初頭から。

                    ワタクシ店主の生まれる前なのです。

                     

                    その後、1970年代前半に全日本プロレスの所属になり

                    日本を拠点に活躍する頃から、

                    あの伝説の番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!(日テレ)」に

                    出演することになります。

                     

                    実際にワタクシ店主がザ・デストロイヤーを知ったのは、

                    この番組で徳光アナに「足4の字固め」を決める姿であって、

                    それがおそらく一番古い記憶なんじゃないかなぁ、と。

                     

                    それ以降は、我ら小学生の間でもプロレスブームが起きて、

                    ブッチャーやミル・マスカラスとの死闘に熱狂しました。

                    その頃にはマスクを自作して遊んだりしたものです。

                    なんといってもザ・デストロイヤーのマスクは作りやすい!

                    白ブリーフを切り抜いて(一歩間違うと「まぼろしパンティ」か !?)、

                    親に叱られたなぁ(笑)

                     

                    そんなワケで、

                    また昭和が遠くなっていきました。

                    さびしくて仕方ありません。

                    合掌.....。

                     

                    バー ノスタ

                    | 懐かし系 | 13:14 | - | - | pookmark |
                    愛すべきギャグ「ちょっとだけよ〜」
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                      1980年代、

                      土曜日の8時は戦国時代でした。

                      「8時だョ!全員集合」派と「オレたちひょうきん族」派で

                      熾烈な争い(笑)がありました。

                      そんな、どっち派?というお客さまとの話の流れで、

                      志村けんと加トちゃんだったらどっち?

                      という展開になりました。

                       

                      ちなみに店主は、加トちゃんが大好きです。

                      どっちかといえば志村けんよりも加トちゃん派です。

                       

                      1974年に荒井注がドリフターズを脱退、

                      その代わりで志村けんが加入し、

                      ドリフの中心人物が加トちゃんから志村けんに

                      変わっていったころ、少し寂しかったなぁ、と。

                       

                      とにかく加トちゃんに育てられたと言っても過言ではなく、

                      加トちゃんのギャグばっかり言っていた子どもでした。

                       

                      そして店主の愛すべきギャグのひとつに

                      「ちょっとだけよ〜、あんたも好きねぇ〜」があります。

                       

                      「ちょっとだけよ〜」誕生のきっかけとなったのは、

                      「おひさまと北風」というコントだそうです。
                      おひさま(高木ブー)と北風(仲本工事)が
                      人間(加トちゃん)の服を脱がせようと

                      競争するのですがなかなか脱がない。
                      そこで北風が音楽(Taboo)を流したところ…(笑)


                      この台詞は広島のストリップ劇場の踊り子さんの

                      台詞をそのまま使ったものだとか。

                       

                      そして、このギャグのキモは何と言ってもこの音楽に尽きます。

                      ラテンスタンダードの名曲である「Taboo」を

                      ペレス・プラード楽団の演奏でより官能的に仕上げられています。

                       

                      この演奏曲は日本のストリップ劇場でBGMとして用いられたため、

                      日本では「ストリップの曲」として知る人ぞ知る曲に。

                      これを実際に劇場で観た加トちゃんが「8時だョ!全員集合」で、

                      1972年からこの曲をBGMにしたコントを演じることで

                      さらにこの曲の認知度が高まりました。

                       

                      何がすごいって、

                      このペレス・プラード楽団の懐の広さと世間の寛容さですね。

                      日本のストリップ劇場で使用されたこともそうだが、

                      加トちゃんのコントに起用されても

                      ええがな〜ええがな〜、という感じ(笑)。

                       

                      1973年には、

                      この曲を日本仕様のジャケット(加トちゃん風イラスト)で発売したほど。

                      現代ならいろいろ大人の事情を盛り込んで

                      こんな展開にはならなかったんじゃないかな、と。

                      PTAが「子どもに見せたくない番組」に指定したといっても

                      現代に比べれば本当にかわいいもんでした。

                      今ならレコード発売以前にこのギャグが封印されることでしょう。

                       

                      まず、当時の子どもたちがストリップがどんなものだかを
                      理解していないにもかかわらず面白がってるその状況。
                      家や学校で「ちょっとだけよ〜」とやる子どもたちを見ていた
                      当時の大人たちは気が気じゃなかったでしょう(笑)
                      そんな店主も大人の前で散々やっていたなぁ。
                      何も知らないってすごいことですね〜。

                       

                      実際、自分も含めてそんな子どもたちが大人になって、

                      なにか悪影響を及ぼしたかというとそうではなかったと

                      時間が経過して証明したんじゃないかなと。

                      むしろ、ウン十年経っても面白おかしく語り継がれるなんて、

                      すごいことじゃないか〜、と!

                       

                      そんなこんなで我々ノスタ世代のカラダには、

                      加トちゃんのギャグが染み込んでいるのです。

                      もうこれはいくら洗っても取れないのです。

                      当時の大人たちがいくら言ったってムダだったのさ.....(笑)

                       

                      バー ノスタ

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